めがねのまちから、世界の顔へ。

Brand history #01

Founding

創業

ボストンクラブ創業、
そしてJAPONISMの誕生へ。

1984年の創業から、初の自社ブランドであるJAPONISMコレクションのスタート、東京銀座への直営店のオープン、そして2017年に鯖江に生まれた本拠地ボストンクラブビルディングの開設。ボストンクラブの歴史を振り返る上で、大きなターニングポイントとなった3つの出来事を中心に過去と未来を綴ります。

History 01は、創業からJAPONISMの誕生まで。

Section 01

鯖江の黄金期に産声をあげる

ボストンクラブが創業した1984年は、バブル景気が今まさに始まろうとする時代の黎明期。日本中の企業が活気付き始めた頃です。鯖江を含めた福井の眼鏡産業も例外ではなく、海外ブランドのOEM(メーカーが委託先のブランド製品を製造すること)とライセンスビジネスが花盛り。工場は常にフル回転で、増産に次ぐ増産。海外ブランドのライセンス商品は作れば売れるという状態。

鯖江に生まれ、鯖江に育った一人の若者として、皆と同じように眼鏡業界に希望を抱いて起業しました。しかし、小松原が同業者と違ったのは、やれば儲かることが容易に想像できたライセンスビジネスに手を出さず、自ら商品を生み出そうとしていたことでした。

Section 02

儲かるからではなく、
自分の道を信じる

「誰かのブランドを借りたり受け身の仕事をしていては、いつか必ず衰退してしまう」そう考えた小松原は、ファッションと連動した眼鏡を企画します。流行の発信地だった東京の原宿、千駄ヶ谷のアパレルブランドに企画を持ち込み、売り込みをはじめました。できます、やらせてください、と足とアイデアで注文を勝ち取り、鯖江中の工場を探して製造を頼み込んだと小松原は当時を振り返って言います。

医療器具としての眼鏡が主流だった時代から、若者がファッションとして眼鏡をかけ始めた時代に、アパレルブランドと連携した眼鏡は受け入れられました。ファッションと眼鏡の関係は、今でこそ当たり前ですが当時は目新しく、注文は着実に増えていきました。生まれたばかりのボストンクラブは、こうして独自の道を歩き始めたのです。

Section 03

借り物ではない、
独自のブランド「JAPONISM」

鯖江の眼鏡産業の隆盛は、バブル崩壊とともに急速にしぼんでいきます。OEMをメインに稼働していた多くの工場が縮小・撤退を余儀なくされ、海外の高級ブランドのライセンスはイタリアへと移っていきました。借り物ではない、独自のブランドを作らなければ。そういう機運が高まった1996年、ボストンクラブは初のオリジナルブランド「JAPONISM」を発表しました。

当時の眼鏡業界は、インポートブランドのライセンス商品が主流。デザインよりもブランドのネームバリューが求められていた時代です。その中にあって、JAPONISMは鯖江の眼鏡技術による機能性と実用性を兼ね備え、さらに遊び心を取り込んだ革新的な眼鏡でした。ニューヨークの展示会では世界中のバイヤーたちから注目を集め、ロバートマークをはじめとするいくつかのセレクトショップでの取り扱いが開始。その後はアジア、北米、ヨーロッパへと進出し、メイドインジャパンの眼鏡として確固たるスタート。